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歯科医学のなかで 「補綴学」という 学問が あります 歯を かぶせたり するときに どのにように かたちずくるか のような ことを 勉強する 学問です。  補綴 は おぎない つづる   修復する という 意味です。  東京の 医療法人系の 歯科医院に 勤務しているとき 私が その医院に はいってから 1年 たってから その 若大将のむかいに 私が つくことに なって まじか で その治療 を みること になって はやく 正確に 的確に やるには どうすれば よいか を  いちいち 口で 教えること は いそがしくて できなかった ようなので みて 覚えました 。 私も 1年 その医院で やって きてから だったので また それで わかりました。   今でも 私が 「宝物」にしているもの も たくさん あります。  むかし 書の 非常に すぐれて いらした 「弘法大師」さま と いう お坊さんが いらした。 「弘法は 筆を えらばず」という 言葉が 後世に のこっています。  ただ 実際 弘法は 筆を えらんだ と 思います。 その弟子たちが 後世の 書を学ぶ人たち や 子供たち に 物を 大事に すること を おしえたかった と おもいます。 筆は その当時 貴重なもの だったと思うし 高価な もの だった と 思います。 こういう名人というのは 筆を いつも 大事にし 手入れ を し いつでも つかえる ように してあった。  それを 弟子たちが みて 弘法は 筆を えらばず になった。   この若大将は 器具 器材を 大事に しました。  また 場面 場面で 器具を かえてました。  そこの 聞き耳を たてている 「歯医者のあんちゃん」これ以上は いえません なあ。   私が バスケットボール部で 若大将は 陸上部でした 2年 先輩です。 その2年の間に この医療法人で 研鑽を つまれたのだと おもいます。 学生時代は 話した こと も ありません 。 ただ この法人への 就職 これは バスケットボール部の先輩の紹介 2年目から 夜間診療をてつだうことと なり 「おまえは 私の後輩だから 明日から 私につけ」 といわれて  この若大将に ついて おしえて もらいました もちろん 補綴 だけでなく 抜歯学 神経の治療 根管内の治療 予防歯科 技工学 すべて 学びました。「思い出すが いい 一途に 燃えた 日々」